兵庫城跡

兵庫城跡(ひょうごじょうあと)

兵庫城跡

〒652-0847 兵庫県神戸市兵庫区切戸町

地下鉄海岸線・中央卸売市場前駅から約400m。徒歩で約5分程度。

キャナルプロムナードの中央辺りに建っているのが兵庫城跡・最初の県庁後の碑です。

 

実は、この兵庫の地に住んでいながら、こんなに近くに兵庫城があったことを長年知りませんでした。

キャナルプロムナードにもふらふらと散歩に来ていましたが、こうした石碑というのはマジマジと地元民は見ないものなんですね・・・お恥ずかしい話です。

こうして兵庫津の道をたどりながら歩き、たくさんの発見があることを嬉しく思いました♪

 

案内説明板はこちら。字が薄くなっており、読みにくいので、下記に内容を記します。

兵庫城跡説明板

天正八年(一五八○)池田倍輝と輝政父子が花熊城を攻め落とした功によって兵庫の土地を与えられてから、兵庫はそれまでの室町幕府の権力を離れ、東大寺や興福寺と兵庫の関との関係も脱して、新たに織田債長の手に入り、これを機会に池田氏は花熊城の遺材も加えて兵庫城を築いた。

その地点は現在の切戸町、中之島中央市場にかけて東西、南北ともだいたい一四○メートルの地域で、周囲には幅三.六メートルの堀があった。

古来兵庫は、源平の合戦、湊川合戦以来たびたび大きな合戦があって、そのつどひどい戦災を受けた。

兵庫に古いものが少ないのもその為であろう。

しかし、信長・秀吉による全国統-がなってからはこの地方ではもう合戦がなく、兵庫の町は平和に栄えていった。

兵庫城跡は江戸時代に入って元和三年(一六一七)尼崎藩領となって、藩の陣屋となり、 明和六年(一七六九)幕府領となってからは大坂奉行所に所属して、与力や同心の勤番所として明治になるまで続いた。

新政府は慶応四年(一八六八年同年九月八日明治改元)一月二十二日にはこの城跡の一部に兵庫鎮台を設けたが、二月二日に兵庫裁判所と名が変わり、五月二十三日にまた「兵庫県庁」と改められた。つまりここが最初の兵庫県庁である。

その後県庁は同年九月十八日、今の紳戸地方裁判所の場所(中央区橘通)に新築移転、 さらに明治六年五月現在地(中央区下山手通5)に移転した。

明治七年(一八七四)新川運河の開削が行われ、城跡の中心地はほとんど川敷になってしまった。

兵庫県  神戸市  岡方協議会

 

Copyright(c) 2014 兵庫津の道を歩こうガイド All Rights Reserved.