福厳寺

福厳寺(ふくごんじ)

福厳寺

〒652-0814 神戸市兵庫区門口町3-4

TEL: 078-681-1951

JR兵庫駅より約600m。徒歩で約8分程度。

JR沿線沿いを歩き、少し南へ入った住宅街にあります。

 

兵庫津の道といわれるこのあたりは史跡があちらこちらに点在していますが、特にこの福厳寺のある兵庫駅周辺は多いよう感じました。

門の脇にある石碑は「史跡後醍醐天皇駐蹕之處」と書かれています。

後醍醐天皇が元弘3年(1333)6月、隠岐から京都に帰られる途中、福厳寺に駐留されたことを示してあります。

 

福厳寺拝殿

福厳寺の前には「都賀堤」の説明板がありました。

都賀堤

 

内容が読みにくいので、下記に記します。

「都賀堤」(旧兵庫の町の外岳堤防)

兵庫の津の外郭をなす堤防を都賀堤(とがつつみ)と言って古くから伝称している。

この堤は天正8年(1580)池田信輝が花熊城を落城させた後、その遺材を加えて築いたといわれる兵庫城の外郭であり、 外側には堀のような水の流れがあった。

兵庫津最古の元禄9年(1696)の絵図には兵庫の町を囲む堤防とその外側には堀のあることを示している。

寛政9年10月(1797)に兵庫の名主、庄屋立ち会いで調査した{外輪堤絵図」によると、西国街道兵庫津の東入口である湊口惣門から永沢町、 三川口町、(それぞれ出入りの門があった)などを経て西の入口である柳原惣門に出て、 満福寺まえから逆瀬川石橋を経て須佐の入江に至る間、全長約750間(約1350メートル)、堤防の幅1間半~7間(2.5~12メートル) 堤防の一部は欠けているが、外側の堀を残してい る。

兵庫城の本丸は海に沿うて構えられていて、この堀と堤防に囲まれた内に兵庫の町があり、 城下町の構造であった事はあまり知られていない。

ながく後まで残っていた此の堤防は兵庫の町の発展につれ、邪魔者となっていたが、明治8年に皆削りとられて平地となり、 付近の町に編入されその跡はなくなった。

都賀の堤というのは恐らく城下町の「外側(ソトガワ)堤」と言ったのが「トガ堤」となったのであろう。

神戸市   岡方協議会

 

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