真光寺

真光寺(しんこうじ)

真光寺

〒652-0881 兵庫県神戸市兵庫区松原通1-1-62

TEL: 078-671-1958

JR兵庫駅より約900m。徒歩で約12分程度。

 

真光寺は時宗を開祖し、鎌倉時代を代表する「一遍上人」1276年、終焉の地と言われています。

時宗とは13世紀に一遍智真の開宗した浄土宗の一派です。

大晦日は真光寺の鐘を鳴らしに大勢の列に並んだことがありました。。

除夜の鐘といえば、真光寺という思い出があります。

真光寺の鐘楼

こちらの真光寺の通用門にある石碑です。

一遍上人石碑

真光寺の境内案内図はこちらです。

真光寺境内案内図

境内には大きな無縁如来塔、観音堂、光明殿、六地蔵などが祭られています。

無縁如来塔の奥にあるのが、一遍上人の御廟所(お墓)です。

一遍上人御廟所は兵庫県の史跡に指定されています。

一遍上人御廟所

一遍上人

一遍上人御廟所説明板

ここ真光寺は兵庫七福神のひとつ福禄寿として有名です。

真光寺兵庫七福神

福禄寿・・・元々は中国の道教の神様です。

人の命をつかさどる南極星の神様です。

鶴と亀を愛した老人の神様で、年齢は数千歳といわれ、長寿と人望にご利益があります。

福は幸福、禄は高給、寿は辰寿につながると言われます。

 

また、真光寺は清盛七弁天音楽弁天として有名です。

真光寺清盛七弁天

時宗の開祖・一遍上人が亡くなった由緒ある寺で。上人の廟所に五輪塔がある。

時宗は、太鼓や鉦をならして踊りながら念仏を唱える「踊念仏」が有名。

盆踊りや阿国歌舞伎など、踊り念仏をもとに生まれた芸能も多い。

音楽・芸能好きの人はぜひお参りをしよう。

 

境内には「平清盛公 御膳水の井戸」があります。

平清盛御膳水の井戸

横にある説明板の内容は「平清盛公が当寺に弁才天を勧請した時に、僧がこの井戸の水でお茶をたてて献上したと伝えられています」

 

来迎寺(築島寺)

来迎寺(らいこうじ)

来迎寺(築島寺)

〒652-0833 兵庫県神戸市兵庫区島上町2-1-3

現在は来迎寺ですが、かつては築島寺(つきしまでら)と呼ばれており、「築島」の名の方が知られているように思います。

来迎寺は阪神淡路大震災で大きな被害を受けました。

その後、現在の鉄筋コンクリート造りの本堂に建て替えられています。

 

来迎寺は平清盛が湊の修造の際に経ヶ島という人工島築造の工事に難航していたところ、17歳の小姓・松王丸(香川の城主、田井民部氏嫡男)が進んで人柱となり、工事を成功に導いたといわれています。

来迎寺は松王丸の菩提を弔うために平清盛が建立したと伝えられています。

境内には松王丸の供養塔が祀られています。「松王小児入海」の碑と墓があります。

来迎寺松王丸供養塔

 

その隣には妓王と妓女の供養塔も祀られています。

来迎寺妓王と妓女の供養塔

 

妓王と妓女は姉妹で共に京堀川の白拍子。

妓王と妓女という白拍子(踊り子の一種)の姉妹は、清盛の寵愛を得て優雅な日を送って居ました。

清盛の心が他の白拍子仏御前き、妓王と妓女は清盛の寵愛を失い、嵯峨野に移り庵(今の祇王寺)を結び仏門に入りました。
その後、平家が壇ノ浦で敗れ、滅びたため、平家ゆかりの兵庫の八棟寺(能福寺の末寺)に住持して平家一門の菩提を弔ったと云われています。

来迎寺は清盛七弁天のひとつとして知られています。

来迎寺清盛七弁天

和田神社

和田神社(わだじんじゃ)

 

和田神社鳥居

〒652-0863 兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3-2-45

TEL: 078-652-1551

JR和田岬駅・地下鉄海岸線和田岬駅より約130m。徒歩で約2分程度の場所にあります。

なおJR和田岬線は、多くが三菱重工業・三菱電機などの通勤の足となっている線ですので、通勤時間帯にしか電車が走っていないという珍しい線です。

そのため、日中はまったく電車の運行がありませんので、利用の際は注意が必要です。

また、JRの兵庫駅からは約2kmほどありますので、徒歩であれば25分程度かかります。

地下鉄海岸線が便利だと思います。

和田神社に向かうと、ひと際目を引く大きな鳥居が見えてきます。

こちらの鳥居は阪神淡路大震災で倒壊してしまい、翌年の1996年に再建されたものです。

また、境内のあちらこちら、社殿なども大きなダメージを受けましたが、現在は修復されています。

こちらは社殿です。

和田神社鳥居

広々とし境内は明るく、見通しのよい気持ちの良い神社です。

和田神社略記

 

和田神社は兵庫七福神のひとつ「弁財天」として知られています。

和田神社七福神

弁財天・・・元は、インドの古代神話に登場するサラスバティ(水をもつもの)という神様です。

海や池、川など水のあるところに多く祀られます。
水の流れは音楽に結びつき、芸能の神様としても信仰されています。

 

また、和田神社は清盛七弁天のひとつ「安全弁天」としても知られています。

和田神社七弁天

安全弁天・・・地元の人々に「和田宮さん」と親しまれている神社。
昔は白蛇青松に彩られた景勝地にあり、海の安全を祈願する人でにぎわった。
境内には、今も菱垣廻船問屋が奉納した石灯籠などが数多く残る。
今も昔も人々の願いは変わらない。

 

また、和田神社は車のお祓いでも有名です。
こうした案内が境内にありました。

和田神社自動車お祓い所

和田神社略記

 

済鱗寺

済鱗寺(さいりんじ)

済鱗寺

〒652-0813 兵庫県神戸市兵庫区兵庫町2-1 – 38

TEL: 078-671-1175

JR神戸駅より約1km。徒歩で約12分程度の場所にあります。

 

一見したところ、お寺なのか?ご自宅なのか?と、ちょっと戸惑いました。

境内といっても、本殿が見当たらない、といった感じです。

そのため、写真も済鱗寺の文字だけになってしまいました。

ご自宅?を撮影してよいものかと悩んでしまったためです。

でも、済鱗寺と書かれた駐車場が目の前にあったので、間違いないようです。

なかなか手作り感あふれる立て看板ですね♪

済鱗寺駐車場

済鱗寺の前にはちゃんと「清盛七弁天」のノボリもありました。

風になびいてしまい、ノボリが裏返ってしまいまいたが、清盛七弁天と読むことが出来ます。

済鱗寺弁財天

 

こちらも、とっても手作り感満載の看板です。

弁財天の説明

弁財天についての説明が書きでした。

写真を大きくしてみましたが、内容が読みにくいので、下記に記します

「弁財天」

大弁天、音妙天、美音天、弁天、大弁財功徳天ともいう。

インドの古語サンスクリット語(梵語)、サラスヴァテの訳語。

サラスヴァーティは西北インドに実在した河川の名で、その川を神格化して女神で、のちに梵天ブラフマンの妃とされ、今でもヒンドゥー教で信仰されている。

学問・音楽・財福・知恵の徳がある天女形で、吉祥天とともに、最も多く信仰され、仏教に入って、「金光明最勝王経」大弁財天女品に詳述されて、古くから造像がある。

インドのサラスヴァーティは、ペンとノートを持つが、わが国の弁財天は琵琶を持っているのが特徴である。

「神戸みなもとの道 清盛七弁天」の西宮内弁天の人形、インドの弁天と同じようにペンを持っているのは偶然なのか?

もとの河川の女神であったので、日本でも弁天の祀堂(おまつりしているところ)は、湖辺・海辺にある。

ここ済鱗寺も海や川(古湊川)の辺にある。

 

手書きで書かれた弁財天の説明があり、最後に締めくくっているのはお賽銭箱。

そして、「べんきょう弁天人形¥200、うで輪念珠¥500、携帯ストラップ¥500」と書かれてありました。

 

能福寺

能福寺

能福寺

〒652-0837 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39

TEL: 078-652-1715

JR兵庫駅より約900m。徒歩で約15分程度。

拝観時間: 9:00~17:00

拝観料: 無料

定休日: なし

兵庫大仏のあるお寺です。 ⇒ 兵庫大仏のページ

 

兵庫七福神の一つ、能福寺。

毘沙門天・・・四天王及び十二天の一人で、鎧を着ているところに特徴があります。

多聞天とも呼ばれます。漢字で書くとまったく別の神様のようになりますが意味はすべてのことを一切聞きもらさない知恵ものという意味です。

七福神の中では、勝運の神様で、仏法を守護し道徳を授ける神様です。(兵庫七福神看板より)

能福時 毘沙門天

また、清盛七弁天のひとる

能福時清盛くん

 

能福時には平清盛の墓所、平相国廟。

平清盛墓所

 

平相国廟

こちらには、NHK大河ドラマの清盛役の松山ケンイチさんがクランク前にここを訪れ、墓所に番組の成功を祈願しています。

 

本殿は御所造りの優美で美しい佇まいに目を奪われます。

能福時本殿

能福寺は京都五箇室門跡の一つ、栗田の青蓮院跡の旧院家。

青蓮院は門跡寺院の中でも最も格式の高い「宮門跡」として歴史上その名を知られる。

天台宗能福寺

能福寺境内には瀧善三郎正信の碑が祀られています。

きのう見し 夢は今さらひきかえて

神戸の浦に 名をや あげなむ  (善三郎辞世の句)

神戸事件

神戸事件とは・・・

開港間も無い神戸で起きた外国との紛争で発足後最初の外交問題で苦境に立たされた明治維新政府を救い日本が外国に植民化されるのを未然に防いだのが神戸事件の瀧善三郎正信の死であった。

慶応四年(1868年)1月11日西宮警備を命令された備前藩兵が大砲を引いて西国街道を通過中、三宮神社前で行列を横切ろうとした、フランス人水平を槍で以って刺傷させた「神戸事件」が起りの神戸の町が一時、外国兵によって占拠されるありさまであった。

この事件は明治政府の素早い方針転換声明と、備前藩責任者の処罰によって決着がついたが全責任を負って同年2月9日兵庫の津、永福寺(現カテネツデリカフーズ㈱)で外国人代表らの立会いの面前で切腹した瀧善三郎正信(当時32歳)の最後は識者の涙を誘ったその跡地に碑を建て市民はこの事件に一番の役割を果たした彼に、心からの感謝の意を表し、その功績を永くたたえてきました。

昭和8年今まであった木碑に代えて立派な石碑が建立された昭和20年戦災で寺は焼失したが碑は無事に残り境内跡地に出来た「カネテツデリカフーズ㈱」構内に祭られ供養が続けられていた。

その後昭和44年、地元有志並びカネテツデリカフーズ㈱により、ここ能福時の聖域に移設された。
(兵庫津の文化を育てる会)

瀧善三郎の碑

兵庫大仏(能福寺)

兵庫大仏(能福寺)

兵庫大仏

〒652-0837 兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39

TEL: 078-652-1715

JR兵庫駅より約900m。徒歩で約15分程度。

拝観時間: 9:00~17:00

拝観料: 無料

定休日: なし

 

兵庫大仏は1991年(平成3年)に再建されたものです。

戦前までは兵庫大仏は、奈良・東大寺の大仏、鎌倉・高徳院の大仏に並び、日本三大大仏の一つに数えられていました。

しかし、1944年(昭和19年)、金属類回収令により供出。

兵庫大仏は、座高11メートル、地上から18メートルという大きな大仏様です。

住宅街を歩いていると、ビルの合間に隠れており、突如現れる兵庫大仏様♪ 結構、ビックリしますよ♪

 

能福時清盛くん

 

本体11mの巨大な「兵庫大仏さま」で親しまれている寺。

平清盛とゆかりが深く、この寺に葬られたといわれる。

境内の墓所に「平相国廟」があるので、神戸港の基礎をつくった清盛の功績をしのぼう。

御所造りの優美な本殿もあり、見どころが多い。(清盛七弁天看板より)

兵庫大仏1200年

1991年再建されたとき、それまでこの地に大仏様がおられたということをはじめて知りました。

初代の大仏様は今とは違う様子だったとか。

ちょっと頭でっかちなお姿だったそうです。

兵庫大仏はJR兵庫駅から徒歩で15分程度・・・なのですが、住宅地の中にありなかなか分かりくい場所にあるようです。

この近所に住む私は JR兵庫駅周辺、そして少し離れた場所でよく「兵庫大仏はどこですか?」と道を尋ねられることがあります。

正直、とても説明しにくいのです。

最近はNHKの大河ドラマ「平清盛」の放送により、兵庫津の道が綺麗に整備され、兵庫大仏への道案内も増えました。

兵庫津の道を散策する観光客の方も増えており、休日はたくさんの方が歩いているのを見かけます。

住宅街を歩いていると突然現れる大仏様に驚く方が多いようです。

奈良の東大寺の大仏様は屋内にありますが、兵庫大仏は四方から見ることができます。

後ろ姿がなかなか素敵です♪ ぐるっと回って拝観してみてはいかがでしょう。

兵庫大仏後ろ姿

 

 

Copyright(c) 2014 兵庫津の道を歩こうガイド All Rights Reserved.